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みなさま、大変ご無沙汰しております。
コロナ禍の中、いかがお過ごしでしょうか?
店主からの原稿を私が懐で温めてしまっておりまして、、何ヶ月もお休みしてしまいました。ここで、一気に😁笑 まいります!

口かみ酒
 ゆっくりご飯を噛んでいるとだんだんと甘みが感じられます。これは唾液中の糖化酵素がデキストリンを分解し糖に変化しているからです。この「糖」の香りに誘われて空気中に浮遊している野生酵母が付着してアルコール発酵を起こすのです。つまり、酒ができるわけで、これが「口噛み酒」です。
 縄文時代以前の旧石器時代には既にデンプンを作り出す技術があったようですから話は古いです。「口噛み酒」は東アジアを始め環太平洋地域全域にその痕跡があり広範囲に渡って、この方式の酒が造られていたのであります。
 原料としては東アジアは米類が多く、台湾や沖縄は粟、時にとうもろこしなどが使われたとか?中南米はとうもろこし、チリは小麦といった具合です。作り方は噛んで唾液共々壺の中に吐き出せば良いだけのことですから極簡単で、地域によってデンプンを噛む人が男.女.処女.美女.老女等と分別されていたとか
八世紀ころの大隅国風土記とか十世紀中国南部の閩書などに記されているそうです。
ただ噛んで唾液ごと壺の中に🏺入れる訳ですが、歯は疲れ口は荒れ顎は痛む等々その作業は大変な苦を伴っていたようで常々、勝手に作るものではなかったようです。
 北海道紋別アイヌでは熊祭り、台湾高砂族や我が国の先島列島の波照間島、石垣島等では神祭の時に造られていたようです。中には見目麗しい処女が選ばれてできた口噛み酒は「美人酒」と称されたとのことであります(古代カンボジア)
 八世紀始めの「大隅国風土記」の「口噛み酒」の条には「男女一所ニ集リテ米ヲカミテサカブネニハキイレ…」と記されているとのこと、又 作業に入る前には植物の茎で歯を磨き、清水や海水で口を濯ぎといった準備をしたとか。衛生面に気を使いながら宗教的観念であったと解されています。
 「成形図説」に
“味甚ダ美ニシテ酒色ハ潔白ナリ“とありますが、台湾の古書によりますと
アルコール度11% 酸度12.4と記されているとか?酸味の強い酒 との記録があります。
 最後に日本への伝播、移入は何時ごろだったのでしょうか?発生源としては東南アジアから南太平洋域 根菜農耕地帯からの移入が有力で、第二のケースとしてはモンゴルなどの稲作農耕文化における「口噛み酒」の記録「魏書」に「米ヲ噛テ酒ヲ醸し」とあることで考えられるルートでありましょう。
 いづれにしても縄文後期、今から三千年以上前に伝播されていたのではないでしょうか。
皆さま 今回のお知らせは
今月のみの企画です〜
もう既に沢山の方にご注文いただきまして、在庫僅かとなっております!弊社のひやおろし極上吟醸酒です💖タンクの中でゆっくりじっくり熟成されています。是非、超特価なこの機会にお買い求めください。
桑乃都 ㈲小澤酒造場
『口噛み酒』について
 ゆっくりご飯を噛んでいると、段々と甘みが感じられます。これは唾液中の糖化酵素がデキストリンを分解し糖に変化しているからです。この「糖」の香に誘われて空気中に浮遊している野生酵母が付着してアルコール発酵を起こすのです。つまり酒ができる訳で、これが「口噛み酒」です。
 縄文時代以前の旧石器時代には既にデンプンを作り出す技術があったようですから話は古いですね。「口噛み酒」は東アジアを初め環太平洋地域全域にその痕跡があり広範囲に渡って、この方式の酒が造られていたのであります。
原料としては東アジアは米類が多く、台湾や沖縄は栗🌰稗、時にトウモロコシ等が使われたとか?中南米はトウモロコシ🌽、チリは小麦といった具合です。作り方は噛んで唾液共々壷🏺の中に吐出せば良いだけのことですから、ごく簡単で、地域によって澱粉を噛む人が男、女、処女、美女、老女などと分別されていたとか…
8世紀ころの大隅国風土記とか10世紀中国南部の閩書(ビンショ)等に記されているそうです。ただ噛んで唾液ごと壷の中に入れる訳ですが、「歯は疲れ口は荒れ顎は痛む」等々、その作業は大変な苦を伴なってのことであった様で常々勝手に作るものではなかったようです。
続きは次回に…  
桑乃都  店主




コロナ終息の様子見受けられず、更に酷暑の毎日ですが、皆さまお元気でしょうか?

この写真は弊社販売中の漬け粕です!
日本酒を搾った時にできる粕は白っぽい色をしていて、みなさんも甘酒や粕汁を作って召し上がっていただいていますが、こちらの漬け粕はその白い酒粕をタンクの中で寝かして1〜2年熟成させた物です。この写真は2年物です。白い酒粕とは違いまろ味があります。
瓜が出回る、この時期に漬けてみませんか?
塩漬けした瓜に、この漬け粕を何度か漬け変えると艶のある「奈良漬け」が出来上がります!

1㌔500円(消費税込み、送料別途)5㌔以上お求めの方は少しサービスしちゃいます♡

瓜の漬け方なども合わせてお問い合わせください〜
桑乃都 ㈲小澤酒造場
  Tel 0426241201
  Fax 0426230274

「口噛み酒」
 おおよそ今から四、五千年前の話しです。
植物から澱粉をとり、それをデキストリンにして食べるといった一連の工程ができあがり、澱粉を糖化することが発見されたのが「口噛み酒」の始まりと考えられます。
例えば米飯を食べているうちに『甘い』と感じるのはデキストリンが糖化していることです。
これが「口噛み酒」の基であり、唾液中の糖化酵素が活躍した為の結果でありましょう!
これは木の実や、根茎類から澱粉を抽出すること、そしてそれをデキストリン化することに考えついたからこそです。
「口噛み酒」は東アジアから南太平洋、中南米にかけて分布し今尚、環太平洋地域の離島や遠隔地などにこの酒造りの痕跡を見ることができます。
「口噛み酒」とは字の如く「口」でデキストリンを噛み、壷🏺に移し暫くすると糖化発酵し空中に浮遊している酵母菌がその甘みに誘われて付着しアルコール発酵をするという訳です。これが澱粉を使って酒造りをした初めかと考えられます。
我が国でも当然、この方法での酒造りがなされており、千年程前迄春日大社などで醸造されていたようです。
桑乃都 ㈲小澤酒造場 店主
井戸尻考古館は曽利遺跡の中にありますが、その曽利遺跡の中期縄文遺跡住居跡から黒焦げになったパン🍞の様なものが出土しました。1960年発見です。現物を早稲田大学と東京大学に送り鑑定してもらった結果、両校共に植物澱粉が加工された食品であると推定されたのであります。
現在でも信濃川上流の長野県秋山郷の栃アンポ、飛騨の楢餅、奈良県十津川上流のお餅等がありますが、これらの加工食品は『生』ならもちろんのこと焼いたり煮たりして、そのまま放置しておきますとすぐカビがはえ、、つまり麹菌が繁殖します。これに水を加えれば糖化が進み野生酵母の働きで木の実の酒ができるといった仕組みであります。

遺跡群の1つ高森新道1号竪穴式住居跡から出土した中期縄文土器の中に口縁部が大きく開いていて中程にくびれがある瓢箪型で口縁部の広い形の土器が出土しています。くびれの部分にスノコを置けば正に蒸し器であります。
この様にして澱粉を加熱処理することでデキストリンに替え食糧としたのと同時に酒にもしたことが明らかになってきました。

昔の人には如何にアルコール飲料について工夫を重ねていたか…思い知ることができます。

桑乃都 ㈲小澤酒造場 店主
縄文時代の〈酒のふるさと〉井戸尻遺跡については以前少々触れたことがありますが、1953(昭和28)年8月 長野県諏訪郡富士見町の井戸尻遺跡一帯に縄文中期の
竪穴式住居跡が当時生活していた状態のまま発掘出土され中にいろいろな土器がほぼ原形で発見されました。
その中の1つの壷の底に山葡萄の種が沢山残っており葡萄🍇酒を造った壷であることが確認された訳です。
更に時が進み、木の実とか芋🍠類の澱粉を発見!当時酒にしたのではないか?
そこで、5000年〜3000年前の様子を振り返ってみましょう!
どんな植物からどの様な澱粉をどの様にして採ったのでしょうか?大別すると…
1 クルミ、トチ、ドングリなどの実→堅果類
2 かたくり、葛、山芋→根茎類
となります。
皆さま小学生のころじゃがいもをすりおろして水に晒し澱粉を採る理科の実験をされたかと思いますが全くそれと同じ方法です。堅果類はお湯につけてふやかし石器で叩いて外穀をとり中実を砕いてすりつぶし水に濾す
根茎類はすりつぶして水で
濾すといった形で、まず、澱粉をとることが第1の目的でありました。当然この澱粉が人間の食糧になった訳ですが、当然、酒にも使ったであろうことが推察されるのであります。

皆さま、緊急事態宣言が解除にはなったものの、第2波の可能性もあり、落ち着かない日々をお過ごしのことと存じます。今回の夏特別企画、雄町米で造った酒の頒布会、ご購入いただきました方ありがとうございましたm(_ _)m
お味はいかがでしたでしょうか?
ご感想ありましたら是非お聞かせください〜
また、ご注文されていらっしゃらない方でご購入ご希望の方、まだ間に合います!
お電話かFAXでお問い合わせください〜
ではでは、マスクして3密避けて前向きに🎶イェーイ👍

桑乃都 ㈲小澤酒造場
皆さま〜いかがお過ごしでしょうか?緊急事態宣言解除とはなりましても、気の抜けない毎日ですね😨
今回、弊社は幻の酒米、『雄町』を仕込んだお酒をチョイスした頒布会を企画いたしました!
酒米として名高い『山田錦』も誕生のルーツを探ると雄町米がお父さんだったんですねー😊
雄町米が沢山採れないので、中々レアなラインナップです。
家飲みでゆっくり楽しんでいただけたらと思います。
また、小さな5勺マスもプレゼントしちゃいます!今回は♯stayhomeの焼印入り👍
マスにお酒をそのまま注げば檜の香りが爽やかなお酒になりますし、細めのグラスをマスの中に入れてお酒を注いでちょっと溢れさせて召し上がるのも乙なものです!是非!!この機会にお買い求めください〜〜
桑乃都 ㈲小澤酒造場
前号までに少々触れておりますが水稲米が日本に入ってきた経緯をもう少し詳しく説明しておきましょう。
中国の広大な土地で発達した農耕文化が日本列島へ伝播されたのにはいくつかの移入ルートがあるようですが主たる学説として
江南から南朝鮮を通り日本へ…
もう一つは
直接日本(北九州地域)へ渡来したと言われております。
江南の浙江省 江蘇、安徽、両省の南部あたりまでの広大な地域を指して南支と言っておりますが、ここにはアジア系の非シナ稲作民族が先住していましたが呉越の台頭から楚が勢力を得て戦国時代に入り華北からの圧迫を受け始めました。当時華北は江南地域を「蛮夷ノ地」と見下げていましたが「江南ノ地広ク、或ハ火耕水耨ス 民ハ魚稲ヲ食イ、漁猟山伐ヲ業トス」と「漢書」に書かれているように華北に比べたら南支は大変豊かであったのです。
やがて漢国が強力な武力を持って国家統一を目指し江南地域に進出し、その勢力に耐えきれずに国外退去となり九州にも渡来したのでありましょう。
このことが日本に弥生稲作農耕文化を芽生えさせた切っ掛けであります。
当時我が国は縄文晩期、食料としては木の実や根茎類が常食であり、これを原料として「口かみ酒
」が造られていた時代です。この様にジャポニカ米が移入され、やがて水稲米での日本酒が醸造されるのですが、その前に根茎類や雑穀による酒=アルコール飲料を説明しておきたいと思います。次回に!
桑乃都 (有)小澤酒造場 店主
皆さま〜コロナ菌の影響で「家飲み」の毎日かと存じます。。
弊社では皆さまに何か喜んでいただける企画はないものか…と考え写真のような枡を作りました。1500円お買い上げ毎にお1つプレゼントいたします!
枡屋さんから届いたばかりなのでヒノキの香りが👍
お買い上げいただいたお酒を注いでお楽しみください〜
ご注文はTEL 又は FAXにてお受けいたします。(送料お客様ご負担お願いいたします)
TEL 0426241201
FAX 0426230274
『家飲みして、コロナ菌やっつけよー💪』
桑乃都 (有)小澤酒造場 

BC300年頃に始まった弥生時代は特にその前半に農耕文化が発達、進化した時代でありました。
金属類の普及つまり石器時代から金属製の農機具に代わった時代であります。
前号で金属製の農機具と共にジャポニカ米が移入されたと書きましたが、加えて祭礼用の品々も入国し更に貯蔵用のもたい(大きな胴の太いカメ)そして壺と共に農耕儀礼等が持ち込まれました。当然ジャポニカ米で造られる酒造りも移入されたものと考えられます。
農耕文化は北九州から瀬戸内を経て近畿地方へと伝わってまいりますが、日本最古の弥生土器が出土した福岡市板付遺跡の水田部落、そして岡山津島遺跡等がその移行の足跡を残しています。その流れは伊勢や濃尾地域にも伝播し数多くの有名な遺跡が残っております。その中の1つに奈良県唐子遺跡がありますが、ここからは籾種の入った壺や祭礼用の彩色壺形土器が発見されております。
水稲米が耕作され、それを用いて酒を造り新しい土地に水田を開き酒を醸して神に献上したものと考えられております。日本の出現ですネ
桑乃都 ㈲小澤酒造場 店主
みなさま コロナウィルスの世界的流行の中、いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか?

外出を控えなければならないことを考え、今回弊社は
『特別企画!1年貯蔵の吟醸原酒』を販売させていただこうと企画いたしました!1年ねかせた吟醸原酒ですので味がまろやかになっております。
また、今回は特別に八王子の芸者さん達の華やかなをどりを堪能できるいちょうホールでのチケットをお買い上げいただきました方の中から抽選で差し上げます!
是非、お買い求めいただきたくお願い申し上げます!
桑乃都 ㈲小澤酒造場 角田房子
 元々ジャポニカ米の原産地はミャンマーの東北に位置する南支那雲南地域でありました。
この米が次第に長江(揚子江)を下り南支那の広大な地域で栽培されるようになったのです。この地区は温暖肥沃な土地であり海産物も豊漁な大変豊かな生活環境であったようです。
 3000年程前、北支を支配していた漢民族がこの土地に目を付け南支へと攻め込み支配下に置いたものと思われます。
今まで何不自由ない生活をしていた人達の一部はこの土地を追われ、日本や朝鮮半島へと避難し、九州地区に移入して来たのが2500年前のころかと推定されております。
この時、鉄製の鋤や鍬等の農耕作業用品、そして米麹利用の酒造りとか、調理や貯蔵用の🏺カメ、壺、更に農耕儀礼等がセットで渡来しました。
南支から直接日本に渡来した一方、朝鮮ルートで移入した人達は祭礼用銅鐸や剣等の金属文化を携えての渡来、これら全体が混合され弥生農耕文化が開花したのです。当然ながらのジャポニカ米なる『米』も移入され水稲農法が進化したのであります。
水稲米による🍶日本酒造りの始まりかと考えられています。
桑乃都 ㈲小澤酒造場 店主